大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪高等裁判所 昭和30年(ネ)349号 判決

控訴人(被告) 滋賀県知事

補助参加人 堀川与次郎 外一一名

被控訴人(原告) 松本ふね 外三名

主文

原判決を取り消す。

被控訴人らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は第一、二審を通じ、被控訴人等と控訴人との間に生じた部分および参加によつて生じた部分とも、すべて被控訴人らの負担とする。

事実

控訴人および参加人ら代理人は、いずれも「原判決を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方ならびに補助参加人らの主張および証拠関係は、次に記載するもののほかは、原判決事実摘示のとおり(たゞし原判決五枚目表終から二行目「加賀井治部の各証言」の次に「原告本人松本みゑ尋問の結果」を挿入する)であるから、こゝにこれを引用する。

(被控訴人ら代理人の主張)

一、補助参加人らが当審において主張する(二)ないし(五)の主張は、いずれも時機に遅れて提出された攻撃防禦の方法であるから、許さるべきではない。

二、かりに、被控訴人らの右主張が認められないとしても、補助参加人らの右主張はいずれも理由がない。すなわち

(一)  補助参加人らは、買収基準日たる昭和二〇年一一月二三日現在本件各農地が在村地主である被控訴人らの所有であるとしても、自創法第六条、第三条第一項第二号による保有面積超過の買収処分が可能であつたから、本件買収処分は適法であると主張するが、かゝる主張が許されるとすれば被控訴人らは本件買収処分と全然別個の買収処分の効力を数年前に遡つて甘受すべきと同様の結果になり、その不当なることは論ずるまでもない。

(二)  しかのみならず、被控訴人らの保有農地面積の合計は六反一畝六歩であつて、自創法第三条第一項第二号により滋賀県において認められる保有限度面積七反以下である。

(三)  なお、補助参加人らは、右保有面積以上の部分につき、滋賀県農地委員会の裁決は合法であると主張するが、かりに、保有面積超過部分がありとしても、しからば、その限度においてどの部分を買収するかを特定して処分すべきは論ずるまでもないから、保有面積超過部分の範囲で処分が有効であるというようなことはありえない。

以上、いずれの点からするも、補助参加人らの主張は失当である。

三、補助参加人らが、本件農地をそれぞれ自作農創設特別措置法に基く売渡の相手方として売渡を受けたものであることは争わない。

(補助参加人ら代理人の主張)

(一)  被控訴人らが買収基準日たる昭和二〇年一一月二三日以前に本件農地の所有権を取得した事実はない。

(二)  かりに、被控訴人ら主張の日時に、本件農地を旧所有者から買受けたとしても、被控訴人らは当時右所有権譲渡契約の締結につき臨時農地等管理令第七条ノ二に基く地方長官の許可を受けていないのであつて、右規定はいわゆる禁止規定でなく効力規定と解すべきであるから、右売買契約は無効である。

(三)  かりに、右臨時農地等管理令第七条ノ二の規定が、効力規定でなく禁止規定であるとしても、被控訴人らと前所有者は通謀のうえ右規定を無視して売買契約を締結したものであるから、右契約は公序良俗に違反し無効である。

(四)  しからずとするも、右契約は知事の許可があつた場合に本契約を締結する趣旨の売買の予約か、少くとも右知事の許可を条件とする停止条件附契約と解すべきであつて、被控訴人らが右知事の許可をえて所有権移転登記手続をしたのは昭和二一年九月一七日であるから、昭和二〇年一一月二三日の買収基準日当時未だ訴外田中多蔵は本件農地の所有権を取得していない。

(五)  以上の主張が理由ないとしても、昭和二〇年一一月二三日の買収基準日現在において、本件農地は未だ補助参加人らが耕作する小作地であり、被控訴人松本みゑは右田中多蔵の内縁の妻、被控訴人松本ふね、同中川かつゑ、同草姥美代子ならびに松本喜蔵は多蔵の子で生計を一にしていたもので、右基準日現在において多蔵の同居親族の所有農地は次のとおりであつた。

(イ)  松本喜蔵所有

虎姫町五村字曲り田二七〇番地

一、田 八畝

同所 蔵ノ町二五二番地

一、田 四畝二一歩

同所 蔵ノ町二五三番地

一、田 五畝

同所 ゴシ明三一一番地

一、田 八畝二三歩

同所 ゴシ明三一二番地

一、田 一反五歩

同所 曲リ田二六八番地

一、田 一反二八歩

同所 曲リ田二六九番地

一、田 六畝三歩

(ロ)  松本みゑ所有

虎姫町五村字曲リ田二六二番地

一、田 七畝一六歩

以上 総計 計七反二畝

そして、右農地は、前記昭和二〇年一一月二三日現在において全部小作地であつたから、田中多蔵の同居親族の小作地は自創法第三条第一項第二号による保有面積を超えている。したがつて、虎姫町農地委員会において、遡及買収計画を樹てるとすれば、本件農地は当然買収さるべきものである。

以上、いずれの点よりするも、本件買収には違法はない。

(証拠関係)〈省略〉

理由

第一、まづ、本案の判断に入るに先立ち、本件控訴審手続が控訴人の控訴取下により終了したか、否かにつき争があるので、この点について考察する。

本件記録によれば、被告滋賀県知事敗訴の第一審判決に対し、被告補助参加人らより適法な控訴が提起されたところ、控訴審の昭和三〇年八月二九日の口頭弁論期日(被控訴代理人ならびに補助参加代理人各出頭)において、控訴人(被告滋賀県知事)代理人が口頭をもつて本件控訴を取下げたところ、補助参加代理人において、右控訴取下に異議を申立てたことが明かである。

ところで、本訴訟の判決の既判力が、相手方と補助参加人との間にも及ぶ場合の補助参加(たとえば、破産管財人の訴訟に破産者が参加し、遺言執行者の訴訟に相続人が参加する場合のごとし)については、民事訴訟法第六九条第二項の適用なく、同法第六二条を類推適用し、参加人は被参加人の行為と牴触する行為をもなしうるものと解されている(いわゆる共同訴訟的補助参加)。けだし、前記特別の補助参加人は、当事者適格を欠くため共同訴訟参加(同法第七五条)をなしえないにかゝわらず、本訴の既判力を受ける立場にある点にかんがみ、これを通常の補助参加と同様に取り扱い、その訴訟行為を被参加人に従属せしめたのでは、補助参加人の地位を十分保護できないおそれがあり、したがつて、通常の補助参加より被参加人に対する従属性を少くして独立性を与える必要があるためにほかならない。そして、この理はいわゆる形成訴訟における補助参加の場合についても同様にあてはまるといわねばならない。元来、形成の訴は、形成される法律関係と法律上特別の関係にある者のみが、これを提起しうべく、第三者はたとい右法律関係に直接の利害を有していても、訴を提起してこれに干渉する権限が与えられていないのであるが、にもかゝわらず第三者としては右形成判決により形成された結果を事実として承認せざるをえないという意味で、右判決の形成力が第三者にも及ぶのであるから、形成訴訟における補助参加人を通常のそれより保護すべき必要があり、これを前記判決の既判力を受ける場合の補助参加人と別異に取り扱う根拠はなく、したがつて、この場合も共同訴訟的補助参加として取り扱い被参加人の行為に牴触する行為をなしうるものと解するのが相当である(特に、行政事件訴訟中抗告訴訟においては、出訴につき法定の当事者適格が要求され、また出訴期間、訴願前置などの特別要件を必要とするため、共同訴訟参加によりうる場合が限定される結果、判決により直接自己の法律上の地位に影響を受ける者は、補助参加しかなしえない場合が多いのであるから、右参加については、これを共同訴訟的補助参加として取り扱いその地位を保護する必要性は多大というべきであろう)。そこで、本訴は行政処分(訴願棄却裁決)取消訴訟で右行政処分取消判決の形成力は当然補助参加人らにも及ぶものと解せられるから、右説示にてらし、被参加人たる控訴人は、補助参加人の意に反して控訴の取下をなしえないものと解するのが相当である。したがつて、本訴は依然当審に係属中といわねばならない。

第二、次に、本案について判断する。

一、滋賀県東浅井郡虎姫町農地委員会が、被控訴人ら主張の各日時、その主張の別紙目録記載の農地につき、それぞれ自作農創設特別措置法(以下自創法という)に基く買収計画を樹立し、被控訴人らから右各買収計画に対し異議を申立てたがこれが却下されたので、さらに滋賀県農地委員会に訴願したところ、同委員会は右各訴願棄却の裁決をなし右裁決書が被控訴人ら主張の各日時に被控訴人らに送達されたことは、すべて当事者間に争がない。

二、控訴人は前記買収計画は、本件各農地が昭和二〇年一一月二三日現在において不在地主の小作地(たゞし、一部は保有面積超過の小作地)であつた事実関係に基き自創法第六条の五、第三条第一項第一号、第二号の規定に従つて定められたと主張するに反し、被控訴人らは、右昭和二〇年一一月二三日の基準日当時における本件農地の所有者は被控訴人らであつて、被控訴人らは右以前から右各農地の所在地たる虎姫町に居住していたから、遡及買収せられる理由はないと主張し、本件農地の所有権を取得した原因として、被控訴人松本みゑの内縁の夫であり、かつその他の被控訴人らの事実上の父である訴外田中多蔵が昭和一八年二月二一日右農地を被控訴人らの耕作に供する目的で当時の所有者であつた訴外近藤信三、押谷利三郎、小林茂昭ならびに大村スガより買受けて、その頃被控訴人らに贈与し、あるいは被控訴人らを代理して買受け、ないしは、被控訴人に所有権を取得せしめる趣旨の第三者のためにする売買契約を締結したと主張するので、この点について考察する。

1  本件農地のもとの所有者が被控訴人ら主張のごとく、それぞれ近藤信三、押谷利三郎、小林茂昭ならびに大村スガであつたこと(たゞし控訴人が右農地中虎姫町大字五村字堂前三五二番地田一反五歩が大村スガと菅井ゑいの共有と主張している点はしばらく措く)ならびに、被控訴人らが所有権取得の時期の点をのぞき右各農地の所有権の移転を受けたことは、当事者間に争がない。

2  ところで、原審証人近藤信三の証言(第一回)により真正に成立したと認められる甲第一号証(近藤信三から田中多蔵に宛てた前記農地の売買契約書)の日附は昭和一八年二月二一日となつており、原審(第一ないし四回)ならびに当審(第一、二回)における証人近藤信三、原審(第一、二回)ならびに当審における証人押谷利三郎、原審(第一、二回)ならびに当審における証人押谷七郎、原審証人大村スガ、原審(第一ないし四回)ならびに当審における証人田中多蔵、原審ならびに当審における被控訴人松本みゑ、当審における被控訴人松本ふね、同中川かつゑ、同草姥美代子各本人らは、いずれも前記被控訴人らの主張に沿う供述をしている。

(1) しかしながら、まづ、右甲第一号証には「該土地ニ対スル所有権移転登記手続ハ買受人ニ於テ農地管理令ニ依ル県ノ認可申請ヲ為シ其ノ認可アリ次第何時ニテモ所有権移転登記手続ヲ履行スルモノトス」との契約条項があるが、臨時農地等管理令によつて、耕作の目的に供するための農地の所有権の譲渡契約を締結するにつき地方長官の許可を要することになつた(同令第七条ノ二)のは、昭和一九年三月二五日勅令第一五一号による改正(同日施行)以後のことに属し、田中多蔵が本件農地を被控訴人ら家族の耕作の目的に供するために前主とそれぞれ売買契約を締結したことが前掲証人田中多蔵の証言により明らかであるから、右契約書にはその日附と内容との間に不一致があり、この点につき被控訴人側より首肯せしめるに足る説明のない本件では同書面は右法律改正後の作成にかゝるものと推定され、前示作成年月日の記載は事実に反するとしなければならない。したがつて、右書面によつては、少くとも田中多蔵が近藤信三より右農地を買受けた日時が昭和一八年二月二一日なることを証するに足らないし、被控訴人らの主張に沿う原審(第一ないし四回)ならびに当審(第一、二回)における証人近藤信三の証言は、右契約書がその作成日附に作成されたことを前提とする点で信用性に乏しい。

(2) また、本件農地は、昭和一八年当時第三者が賃借耕作中の小作地であつて、被控訴人らがその所有権を取得したと主張する日時以後も昭和二〇年までは引続き前主の近藤、押谷、小林らが右農地の公租公課を支払い、かつ、小作料をも収納しており、また、被控訴人ら名義に所有権移転登記が経由されたのは昭和二一年九月一七日であることが当事者間に争いがなく、原審証人杉本仁三郎、同北川伊太郎、同堀川与次郎、同中村瀬太郎、原審(第一回、第四回)ならびに当審における証人田中多蔵の各証言を総合すると、田中多蔵は昭和二一年三月頃にいたつて本件農地の小作人らに対し自己がその所有者となつたことを告知するとともに小作料の支払を請求し、合わせて離作を要求したことが認められる。しかしながら、本件農地の総計が二町歩を超えているところからみて、かゝる広大な農地を取得しながら、その公租公課を依然旧所有者の負担に帰せしめ、かつ、小作料の収納を放置しておくというがごときは、全く異例のことに属するというべきである。この点につき、被控訴人らは、その理由として、(イ)被控訴人らの居住する虎姫町大字五の特殊事情によることであり、同字の者が他字又は他村の土地を購入することは当時世間から嫌われており、やゝもするとそれを妨害されることもあつたので、田中多蔵は右土地につき登記が完了するまではできるだけ売買の事実を秘匿しておこうと考えたこと、(ロ)一方、本件農地の当時の小作料と公租公課とが殆んど同額であつて、これを新旧いずれの所有者が収納し、支弁しても結果において大した損得がなかつたことを挙げている。

なるほど、原審証人大村スガ、同杉田八十七(第二回)同田中多蔵(第一、三回)同上田軍治(第一回)原審(第一回)ならびに当審証人近藤信三の各証言によると、戦前において虎姫町大字五の住民に対し他部落ないし他村の土地所有者が土地を売却することは一般的に嫌われていたことが窺知できるのであるが、農村において前記のように多大の農地の移転をたやすく秘匿できるわけのものではなく、早晩世間に知れわたるのが通常の事態と考えられる。

また、原審証人田中多蔵、同近藤信三(いずれも第一回)の証言によれば、当時の小作料をもつては公租公課その他の諸経費を賄えば余剰の少なかつたことは認められるが、本件取得農地の段別からすると、右収益を無視することは当らない。しかも、原審証人田中多蔵の証言(第三回)によると、田中多蔵は昭和一八年頃他村所有者の畑を買受けたところ、被控訴人ら主張のような特殊事情のために破約された事例があつたというのであるから同人において本件農地所有権の取得を確保するためには、いちはやく登記手続を経由するのが自然とも考えられる。原審証人杉田八十七(第一回)(昭和二六年七月二三日施行)は、右田中多蔵より昭和一七、八年頃本件農地の登記手続の依頼を受けたが、同人が登録税等を持参しなかつたためその手続が遅れたと供述し、その後原審における第二回尋問(昭和二八年三月九日施行)では、右登記手続を依頼された日時につき前回の尋問で供述したところは、はつきりした記憶に基くものでなく、それは昭和二〇年頃であつたかも知れないが、当時臨時農地等管理令によつて知事の許可を要したので、田中に知事の許可を得てくるよう指示したところ、同人が知事の許可証明書を持参したので登記をした旨供述し、次いで原審第三回尋問(昭和二八年五月二六日施行)には、登記手続を依頼されたのは息子が養子縁組をした昭和一八年三月一八日の数日前であると一変して日時を特定するとともに、当時は前記知事の許可は不要であつたと供述し、従前の供述を変更するにいたつた(当審における供述もこれと同旨)もので、登記手続を依頼された日時につき右のように当初来不確定な供述が卒然として確定的な供述に変化するにいたつた点につき、同証人自身首肯できる事由を明確にしていないことからして、前記昭和一八年三月頃田中より本件登記手続を依頼されたとの供述は直ちに信用できない。また、原審(第一回、第三、四回)ならびに当審における証人田中多蔵は、昭和一八年三、四月頃司法書士杉田八十七に本件登記手続を依頼したが田中自身が多忙であつたためと、右農地取得を秘匿する必要もあつて、右手続の遅滞を放置していた旨供述するけれども、未だ右事情は本件登記手続を永年放置していたことを首肯せしめるに足るものとはいえない。

以上のように、被控訴人らが本件農地の所有権を取得したと主張する日時以後、その登記手続を経由せず、公租公課を旧所有者の負担に帰せしめ、小作料を収納しないまゝ放置していたことにつき、いずれもこれを首肯させるに足る事由がないから、以上の事態は、被控訴人ら主張の日時に所有権移転のなかつたことの証左といわねばならない。したがつて、冒頭掲記の被控訴人らの主張と符節を合する本件土地売買当事者の証言ないしは被控訴人らの供述も未だ当裁判所の心証を惹くにいたらない。

(3) しかのみならず被控訴人らの本件農地買受日時の主張が本訴の過程において一貫性を欠いている点に注目すべきである。すなわち、

(イ) 昭和二四年(行)第一二号事件の訴状(昭和二四年八月四日附)において、被控訴人松本みゑ、草姥美代子が昭和一九年一〇月一〇日近藤信三よりそれぞれ第二目録記載の農地を買受けた。

(ロ) 昭和二五年(行)第八号事件の訴状(昭和二五年七月二二日附)において、被控訴人松本みゑは昭和一八年二月二一日近藤信三より別紙第三目録記載の農地を買受けた。

(ハ) 昭和二四年(行)第五号事件の昭和二五年八月二二日の口頭弁論期日において、被控訴人らは本件各農地をそれぞれ昭和一九年一〇月一〇日近藤信三、小林茂昭、押谷利三郎から買受けた。

(ニ) 右事件の昭和二六年三月六日の口頭弁論期日において、被控訴人らは本件各農地を右訴外人らより昭和一八年二月二一日買受けた。

と主張している。控訴人は右事件の昭和二五年七月四日の口頭弁論期日において、本件買収はいわゆる遡及買収であることを主張しているので、少くとも右日時以後被控訴人らは本件農地取得日時を明示すべき必要に迫まられたわけであるが、その後においても右(ロ)(ハ)(ニ)のように主張が動揺している。

(4) なお、成立に争のない丙第八ないし一〇号証の各一、丙第一一号証の一によると、被控訴人らは、本件農地買収処分に対しそれぞれ滋賀県農地委員会に対して訴願をなしたが、右訴願書には、被控訴人草姥美代子は昭和一八年八月二一日被控訴人松本ふね、中川かつゑはいずれも昭和一九年一〇月一〇日被控訴人松本みゑは昭和一九年八月一五日にそれぞれ田中多蔵を代理人として本件農地を前主より買受けた旨主張するとともに、右主張を裏付ける資料として前主と田中多蔵間の不動産売買契約書(いずれも写)が添付されているのであるが、当審証人中川幸次、同谷村清太郎(たゞし後記信用しない部分をのぞく)の各証言を総合すると、前記訴願手続は被控訴人中川かつゑの夫中川幸次が谷村清太郎に書類作成を依頼してなしたが、その際右訴願書に添付されている売買契約書中昭和一八年二月二一日附の売渡人近藤信三名義の分(丙第一一号証の二)(甲第一号証と同一のもの)は近藤信三より借受けたうえ、その写を添付したけれども、それ以外の契約書は当時原本が存在しなかつたことが認められ、前掲証人谷村清太郎の証言中右認定に反する部分は前掲証人中川幸次の証言と対比して措信できない。したがつて前記売買契約書もまた被控訴人らが本件農地につき遡及買収基準日前において既に所有権を取得していたことを証するに足らない。

3  以上、判断したように、田中多蔵が本件農地をその主張日時に前主との間に売買契約を締結したことについては、前叙のごとく作成日時に疑点のある甲第一号証と、いまだ当裁判所の心証を惹くに足りない取引当事者らの供述を措いて、これを証するものがなく、本件のごとき多数の農地の所有権移転が行われた際、通常当然これに伴つて早急になさるべき登記手続、公租公課負担者ないしは小作料収納者の交替、あるいは小作人に対する離作要求などが、本件においては、いずれも農地所有権移転がなされたと主張する日時から、はるか後にいたつて行われており、右事態につき吾人を十分首肯させるに足る特段の事情が認められず、これに加えて、被控訴人らの右農地取得の日時の主張自体が前叙のように一貫性を欠いている点などの事情を総合して考えると、むしろ田中多蔵が右農地を前主より買受けた日時は、遡及買収基準日たる昭和二〇年一一月二三日以後であつて、原審証人上田軍治の証言をも勘案すると、田中多蔵は前記のように小作人らに対し自己が所有者となつたことを主張して、小作料の支払を求め、あるいは離作の要求をなした昭和二一年三月の直前頃に右農地を前主より買受け、その後にいたつてそれぞれ別紙目録の被控訴人ら所有別表示のとおり被控訴人らに区分して贈与したものと認めるのが相当である。(なお、原審証人大村スガの証言によると、田中多蔵が大村スガから買受けた大字五村字堂前三五二番地の田地は登記簿上同人と菅井ゑいの共有名義となつていたが、実質的にはすでに大村スガの単独所有であつたことが明かである。)被控訴人らは、田中多蔵が前主となした前記売買契約は被控訴人らに直接買主の権利を取得せしめる趣旨の第三者のための契約であるか、または、田中多蔵が被控訴人らの代理人としてなした契約であると主張するが、かゝる事実を認めるに足る証拠はない。

そうすると、右基準日当時の本件農地の所有者は前記訴外近藤信三、押谷利三郎、小林茂昭ならびに大村スガらと認むべく、大村を除く右訴外人らがいずれも不在地主であり、かつ、右大村については本件所有農地以外に保有を許された七反歩の小作地を有していたことは当事者間に争いのないところであるから、虎姫町農地委員会が右農地の所有関係に基き自創法第六条の五、第三条第一項によつて樹立した本件買収計画は適法といわねばならない。

4  なお、被控訴人らは、国が一旦被控訴人らに対し自作農創設維持事業に基く所有権取得を許可しながら、これを買収の対象とすること自体が矛盾であり、かゝる趣旨の買収計画は許さるべきでないと主張するが、遡及買収基準時以後において小作農地が自作農創設維持事業によつて他に譲渡され、譲受人が適法に自作農地として創設を受けた場合においても、市町村農地委員会は相当と認める限り、右基準時現在の事実に基いて右農地を目的として遡及買収計画を定めることができると解すべきである。

そこで、本件についてみるに、成立に争いのない乙第一号証の二に原審証人上田軍治、同横井兵衛(第一、二回)、原審(第一回)証人田中多蔵の各証言を総合すると、田中多蔵は前認定のように本件農地を買受け、これを被控訴人らにそれぞれ区分して贈与し、その旨の登記手続を経由しようとしたが、当時農地所有権移転登記は知事の許可をえなければできなかつたので、昭和二一年八月頃被控訴人らが取得した右農地につき同人らを既墾者とする自作農創設維持事業の形式を藉りて右登記の実現をはかるため、該申請をなした結果知事の承認をえて、右登記手続をなしたことが認められるので、かゝる場合においては、右被控訴人らの自作農創設の実態に着目し本件農地を目的として買収計画を樹立するのを相当というべきであるから、虎姫町農地委員会が右農地につき買収計画を定めたことに違法はなく、被控訴人らの前記主張は採用できない。

したがつて、右買収計画に対する被控訴人らの訴願を棄却した滋賀県農地委員会の裁決もまた適法といわねばならない。

三、しからば、本訴請求は、その他の点の判断をまつまでもなく理由がないから、これを認容した原判決は失当であり、取消を免れない。

よつて、民事訴訟法第三八六条、第九六条、第九四条、第八九条、第九三条を適用して、主文のように判決する。

(裁判官 沢栄三 斎藤平伍 石川義夫)

(別紙目録省略)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例